2014年3月9日日曜日

『日本辺境論』

 

『日本辺境論』を読んだ。大ベストセラーだったので「読んだ」と書くと、なんだか気恥ずかしい気はする。著者は内田樹。

 

彼の言う「辺境」とは、文字通り地理的な辺境のことらしい。日本の国が始まった時から、日本は日本を「中心」だとは考えなかった。古代に文明が起こった国は、総て自国が世界の中心と考えて、自国を「主張」してきた。それに引きかえ日本は、はじまりから「中華」があっての「日本」だった。その根拠は日本の古代の支配者は「中華」に支配権の承認を求めたからだと、彼は言っている。

 

で、この「辺境」であることでの「日本」の特徴は何か。彼によると、たいていの国は自分の国が中心である。中心としての自国の主張をする。だが日本は常に「中心」をどこかに見据えて、そことの関係性をはかる。つまり自分を絶対視する思考がなく、自己主張をしない。日本とはどういう国かとういう独自の発想がない。他国と比べることでのみ、相対的に自分を語ることができるという事だ。

 

 

わたしは常々、日本は「課題・目標(あるいはパラダイム)」を与えられたら非常にうまくそれに順応し物事を成功に導く事ができるが、それ自体をなぜ発信しえないのだろうかと思っていた。この本を読んで、少し納得するところはあった。彼は、「よその世界の変化に対応する変り身の速さ自体が伝統化している。」と書いている。時代の先端が何であるか感知し、それに向かってキャッチアップしていくことに長けているという事。(しつこいようですが、 自ら新しい物は発信しないという事)。

 

もうひとつ、わたしは、日本人は何故権威に逆らわず、迎合してうまく振舞っていけるのだろうかとも感じていた。これについても同様、「自分自身が正しい判断を下すことよりも、正しい判断を下すはずの人を探りあて、その身近にあることに自らのアイデンティティを見出す」と言うような事が書かれている。しかし、ここには少々トリックがあって、「自分は辺境に住んでいるので、そんなことは知りませんでした。」という「作為的な知らんぷり」がひそんでいるらしい。つまり、表だって自分が従いたくない基準に反対はしないが、知らないふりをして結局は従わないということである。少しは自己主張をしているようだが、何にしても自分の望む自らの基準を新たに発信しないのは同じ事である。

 

 

このように、自己主張もしないでいつもまわりとの関係性ばかり意識している国が、繁栄と没落をくり返している世界の国々のなかで、どうして今まで文明を発達させ、植民地化もされず、滅ぼされもせず、二千年も生き延びてきたのか。そして、こういう国にどんな文化が醸成されたのか・・・という壮大なテーマはまたの機会に。




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