2014年5月25日日曜日

昨日の出来事


一年ほど前、自宅をちょっとだけリノベートした。台所からの続きでウッドデッキ(しかし、ウッドではない)と小さなサンルームらしきものを付け加えた。台所からでると3畳ほどのサンルームに繋がり、その正面は窓であるが、左右にガラス戸があり、その両方からデッキに繋がるという体である。デッキも左右に3畳ほどずつである。

 

最近は陽気が良くなってきたので、ガラスのドアを開け放している。そこには、大判のスカーフがカーテンの代わりに垂れ下がっていて、左右のドアを吹き抜ける風に揺れているというより、舞い上がっている。

 

去年は、初めての自然とのふれあいだったので、虫が家に入って来るのを神経質に追い払っていたが、今年はスッカリ諦めた。これが自然というものだ。自然を人間の力で食い止めることはできないのだと思い定めて、今年は気にしないことにした。少しくらい蚊に刺されてもどうということはないだろうと思う。

 
 
 

しかし、きのうはハチが入ってきた。わたしはハチが一番苦手だ。二回ほどハチの群れに(といっても10匹程度)襲われて、一回は刺された。そのトラウマもあるがそれ以上に恐怖なのは、ハチは三次元で攻めてくるということ。つまり、飛び回っている。地上の敵なら、一方向からの攻撃なので、こちらも対処しやすい。

 

わたしは、ゴキブリと蚊以外の昆虫は殺さない。そのわたしの家に侵入してきたハチにも十分に脱出のチャンスは与えたと思う。家の中に入って来ないように台所とサンルームの境の戸は閉めたが、左右の外に繋がる戸は開け放して、どうか早く出て行ってくれと、唱えていたのである。しかし、出口が見つからないようでなかなか出ていく様子がない。四方がガラス張りなのでウロウロしている。「君が刺さないと約束してくれるなら、そちらに行って助けてあげよう」などと言ってみたが、その確証はないのでやはり見ているだけにした。

 

 

人は、自分が生物だということを忘れかけている。そして、他の生き物も生物だということに無頓着になっている。このハチの行動を眺めていると、彼等も万能の力強い存在ではないとわかる。人類より長く生存している昆虫類は、叩いてもなかなか死なないし、脚が一本くらい取れたって、それなりに生きている。けれど、彼等もお腹は空く。そして、そのエネルギーの補給がなければ死んでしまう。眺めていると、エネルギーの消耗を減らすために飛ぶのをやめたのがわかる。窓ガラスを這い始めた。

 

早く出て行ってほしかったが、ずっと眺めているわけにはいかない。わたしには出かけなければいけない用事があった。それで用心もわるいので、ハチを避けてサンルームに入り、左右のガラス戸を閉めた。昨日はすごくよい天気で、戸を閉めると風も止まり、サンルームの中は、まるで地獄のような暑さになった。いくらハチといえども、この暑さの中で生きていけないであろう。わたしは、「君には脱出のチャンスがあったんだよ。そのチャンスを逃した君がいけないんだ。」と、自分に言い聞かした。そして、台所の境の戸も静かに閉めた。

 

前にも一度ハチではないがハチ程の大きさの虫が侵入し、止むにやまれず閉じ込めたことがある。翌朝見ると、死んでいるかのようにうずくまっていた。しかし微かに動いている。どうしようかと考えた。はじめに翅をピンセットで掴んで外に逃がそうと試みたが、どういう訳かピンセットでは翅を掴めず、スルスルと滑ってしまう。それで他に何かないかと引き出しを探っていると、油絵のペインティング・ナイフがあった。そのナイフを虫の胴体の下に差し込んですくいあげて外に出そうと思った。それがなかなか難しく、差し込んでは、虫が逃げ出すという追いかけっこ。しかし、数回同じことを繰り返していると、虫自身が脚でペインティング・ナイフを掴んだ。ちょうどナイフの上に虫が乗っかった状態だ。わたしは、そのままそおっと立ちあがって、外に虫を置いた。虫は、とことこと歩き始めた。虫が「助かった」と思ったかどうかはわからない。

 

この経験があったので、このハチも明日の朝、弱ったところで外に放してやればいいやとも思ったのだ。今朝見ると、以前の虫とは違いハチは仰向けになって死んでいた。それでも、昆虫を侮ってはいけないと、ハチがいつ飛び出しても避難できるようにそっと近づいてみた。やはりハチは死んでいた。わたしは、やさしくハチをつかんで、外の草むらに置いた。自然の中に帰れるようにと思った。






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