2016年1月9日土曜日

ミニマリストあるいは断捨離


英語トピック・クラス終わりました。木曜日です。わたしのトピック『The oldest company in the World』は、「なぜ日本には古くから継続する会社が多いのか」という、メイン・テーマまで行かず、消化不良で終わりました。

 

もう一人のトピックが、「断捨離」でした。彼女は、必ずしも断捨離に賛成ではないと言いました。彼女が持ってきた新聞の切り抜きの写真は、何もないガランとした部屋に母と息子が坐っていました。フローリングの部屋です。彼女の説明では、写真に写っていない手前にテレビがあるのだとか。こんな閑散とした部屋で、こどもはどんな風に育つのだろうと思いました。なんの癒しもありません。

 

わたしもミニマリストのことは、新聞記事で読みました。が、こんなことが可能なのだろうかと思います。それは、今、日本が平和であり満たされているからだけのことではないのかと。直近のニュースでは、北朝鮮の水爆実験。あるいは、イランとサウジアラビアの冷戦状態。なにか、世界は一触即発の状況になりつつあります。そんな世界で、物を捨てて大丈夫なの?です。実際、戦争になれば物資は供給されませんよ。

 

そのトピックを持ってきた彼女も、日本が平和だからこんなことができるのだ。何を捨てても、必要なものはすぐ手に入る、買える、からだけのこと。シリアからの難民は手荷持ひとつで、脱出して来ている。彼らはそれで幸せと言えるのだろうか、って、彼女は言いました。真実です。

 

 

ミニマリスト、沼畑直樹さんは、「本や趣味の物を捨てたのは、自分の好きなものもない、ホテルのような何もない部屋の空間を感じたいため」と言っています。物から解き放たれたことで部屋から外に出て、自分の目で見て自分の足で歩いて自分を感じる、と。ほんとかなあ。

 

と言うのは、ミニマリストの持ち物は、スマホとかタブレットとか、デジタル関係を多く持っているとのこと。充電ケーブルとか、アダプター。やはり、禅僧のように世間から逸脱することはできないようです。

 

まあ、この物が溢れている消費社会から脱出するという意味では、共感できますが、「居心地の良い空間」、「自分の好きなもので満たされている空間」というものも精神的安定という観点から必要だと思いますが。どうでしょう。








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