2017年5月7日日曜日

囲碁について


囲碁サロンに通っています。そこでの友達が、「おもしろい所があるよ。1時から5時まで囲碁打ちほうだいだよ。」と言うので、ホイホイとついていきました。

火曜日に待ち合わせをして、そこに行くと、あれよあれよという間に、そのクラブの会員になってしまったのです。と言って、別段「秘密結社」とか「新興宗教」でもないので良いのですが、ただ、そこに入ると囲碁サロンの方に行くのを減らさなければいけないので…。人の持ち時間は限られていますからね。

そこは、囲碁同好会と言った感じのところです。特定の先生はいません。どうも高段者の人が一人いるらしく、皆はその人のいう事を「はい。はい。」と聞いています。わたしは、まだその「先生」と対局していませんが、四段の人とはお手合わせしました。

「四子置け。」と言うので、「今まで、どんな高段者の人とも三子で打っています。勝てませんけど、互先の練習のためです。」と言うと、「それはだめだ。囲碁は勝つ為にやっているのだから、勝てる数の石を置くように。」と。

その場は素直に従いましたが、ちょっと考えてしまいました。わたしは、「勝つ為に囲碁を打っているのだろうか。」と。もちろん大会とかに出場しているなら勝ちたいです。しかし、ふだんの練習の時、わたしはどう思っているのだろうか、と。

考えてみると、簡単に勝てる相手と打って勝っても、何も面白いことはなかった。全然勝てないような相手で、そしてもちろんのこと負けても、何か得るところがあれば、その方が良い。その反対もあります。下手(したて)の人でも、良い碁が打てたなあと感じることもあれば、上手(うわて)の人でもなんか「スカスカ」って感じの時もあります。







囲碁サロンに入る前、棋院の囲碁教室に通っていました。一年間です。そこは、プロ棋士の先生が教えてくれます。生徒は十名ほどでした。女性ばかりのクラスで、ここの人たちは、他の人と打たないのです。まあ、家でご主人と打つとか…、といった程度。

その中で一人、囲碁の勝負ではなく、囲碁の研究ばかりしている人がいました。わたしとは、2~3回、打ってくれたのですが、「囲碁の対局がこんなスリリングなものとは知らなかった。」と言いましたが、だからその後にわたしと打つというわけでもなく。わたしは、そこで対戦する相手が見つからなかったので、やめてしまいましたが、今になって、「それも有りか。」と思えたのです。

つまり、わたしも対戦相手に勝つ為に囲碁をしているのではないとわかりましたから。勝負は相対的なものです。誰が誰に勝つかというように。それも大事でおもしろいですが、求めるものはやはり「絶対的な勝利」ではないでしょうか。碁の理論を追究し続けることです。

という事で、またまた、わたしはどのように囲碁を追究していけばいいのかと迷い始めました。と同時に、「人に会いたくない病」が出てきたようです。しばらくは、成り行きに任せて、進んで行く所存です。






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