2023年6月28日水曜日

歴史

 

わたしの興味は、「何故、この社会がこのようになったのか。」ということ。人はどうしてこのような社会の仕組みを選んだのか。


現在、ヒトは生まれた時から「貧富」があり「権力を持つ者と持たない者」がある。これは、いつから始まったのだろうかという疑問だ。


だから、日本で言うと「奈良時代」くらいまでしか、歴史には興味はない。神道が構築され、天皇の権威が定着したころ。その後は市民革命も起こらず、権威は維持され続けている。


その前はどうなの?と。


この前、新聞で縄文時代のことを読んだ。縄文時代は富の蓄積がまだまだ困難だったので、人々の生活にそんなに差はなかったとのこと。部落の民の人口も少なく、互いの生活にそうストレスはなかったと。


また、部落と部落の距離も近くなかったので、部落間の闘争は少なかったようだ。武力闘争による部落間の優劣もなかったので、人が人を支配するという関係も少なそう。


その後、弥生時代から様相が変化してくようだ。農業の発達による富の蓄積とか、貧富の差とか、それに寄る権力の発生である。どうも、この頃が境目のよう。

また、2~3日前の「折々のことば」には、このような事が書かれてあった。


「ある時から人類の社会は……逃げられる社会から逃げられない社会へと、生き方の基本戦略を大きく変えた。」


数千万年続いた高等霊長類の遊動、離合集散の生活を人類は約一万年前に放棄したと。定住を開始したことで、環境汚染とか疫病、ヒト間の確執などをもたらした。遊動することで解消されていたこのような事から、人類は逃れられなくなった。

そのようなストレスフルな状況から、ヒトは儀礼や禁忌や掟の体系を造らざるを得なくなったと。


このような禁止事項から外れることが、外道なのであり、人の道から外れる事なのだ。「ならず者」の誕生となる。


そんな事ですよ。




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