2025年7月27日日曜日

少々以前の新聞のコラムです


 


女性コラムニストと思いますが、成人を迎えたときに、母親が「ハンコ」をプレゼントしてくれたそうです。それには名前しか彫ってありませんでした。その時は何も考えないで、反抗期なこともあり、机の引き出しにほおりこんでおいたそうです。


後に、母親が謝らないといけないことがあると神妙に打ち明けたそうです。


名前しかないハンコのことです。なぜ名前しかなかったというと、後に結婚して名字が変わっても使えるようにと。女は、結婚したら名字を夫の方に合わせるものだと思い込んでいたと。そんな考えで、あなたの人権を蔑にしてしまったと。


そのコラムニストが言いたかったことは、夫婦別性の事です。現在、母くらいの年代の人にも「夫婦別姓の選択」の自由が浸透してきた。だから、政治も早く結論を下すべきだということです。




これを読んで思ったことは、「あれ~、わたしも名前だけの印鑑もらったぞ~。」ということ。へ~、そんな意味があったのかと。


家は、商売系なので、ただの印鑑ではなく、実印でした。登録済みのもの。そして、名字と名前が彫られた印鑑と。こちらは普段使いにと。


わたしも夫婦別姓に賛成です。だけど、わたしは自分の名字が大嫌いです。家族の一員であるという思いにゾッとします。


私の場合、結婚して姓を変えて離婚してそのままの姓にしました。もちろんそのために結婚したのではありません。念のため申し添えます。たまたま、離婚に至ったということです。


でも、名字はほんとに極普通のどこにでもある姓なので、わたしは匿名性を得ることが出来たと……思ったものです。わたしは、何者でもない自分になった、と。


変ですよネ。






2025年7月14日月曜日

今日のコラム


 

7月11日の新聞のコラムなんですが~~~、


『折々のことば』です。


「幸福な家庭はすべてよく似かよったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である。」


『アンナ・カレーニナ』の書き出しだそうです。寺山修司は逆に、


「不幸はいつも同じ顔をしているが、幸福の顔は、それぞれ違っている。」


と言っていると紹介されていた。


鷲田清一さんは、「幸福を一つの達成と考えるか、目的とは無関係な悦びと捉えるのかの違いか。」と分析していた。





わたしは、トルストイに賛成です。「幸福」とは一つの概念であり、それ以外は幸福を探す途中の道程の一つだと思う。だから、一つ一つ違う。幸福に辿り着く前の道のりを「不幸」とするとである。


わたしは、常々「善は単純だが悪は複雑だ。」と感じていた。だから、「善」をテーマにする作品はあまりないが、「悪」の方は千差万別に存在すると。魅惑的だ。


以前漫画(藤子不二雄?)で、良いことばかりする男の子のヒーローが、あまりにも「善」なので、周りの人達に疎まれる、というスーパーマンのパロディみたいなのなかったですかあ~。


「善」は、仏教の「悟り」のように、いろいろな悪を引き剝がした究極の存在だ。だから、単純で孤高だ。凡人には辿り着けない厳しい道則。


だから、いろいろな不幸話や悪の世界を楽しみましょう。もちろん小説での話です。






2025年7月13日日曜日

7月11日のコラム


 

新聞のコラム、『折々のことば』です。


「好之者不如楽之者」  孔子です。


これを好む者はこれを楽しむ者に如かずーーー「好むというのは楽しむのには及ばない」ということ。


ある対象に執着する人は、それと一体になれる人に所詮敵わないと。


解説の鷲田清一さんは、なじみの理髪店の亭主に「努力は夢中に勝てへんて、よう言いますね。」と言われたことを思い出したと書いていた。夢中でいると何と競うこともない、だから無敵だと。




わたしにも夢中の事がある。今は囲碁だが、その前は英語だった。英語を勉強して、何かに役立てようという気持ちは全くなかった。なぜわたしは英語の勉強をしているのだろうと、時折疑問に感じていた。


たぶん、「ステキな人」との出会いの機会を拡げたかったのだろう。ステキな人、優れた人とお話をしていると楽しいじゃないですか。知的好奇心というやつでしょうか。それには、自らを鍛えて、自らがステキな人に近づかないといけない。ステキな人に振り向いてもらえるほどのことをわたしも言わなければならない(なぜ英語かと問われると答えられないが)。


しかしながら、ステキな人に出会える機会などないに等しい。それで、諦めました。




囲碁も然り。碁に強くなって強い人と打ちたい。上等な囲碁を楽しみたい。つまり勝ったとか負けたとかでなく、ひたすらステキな碁を打ちたい。棋院でそんな機会がつかめるよう、碁を打つことに夢中になっている。


このコラムを読んで、そんなことを思いました。






2025年7月3日木曜日

エクスキューズ


 

すぐに読みもしない本を買ってしまうことの―――言い訳です。


若い時分は、「老後の楽しみ」のためと言って、本を買っていました。随分ため込んでいます。しかし、今がその老後です。と言って、ため込んだ本を読んでません。



今の言い訳を考えました。


運転免許証を返納したあとの楽しみのため。晴耕雨読という言葉があります。わたしは耕しはしませんが、日本棋院に通っています。車でです。車を使わずに行くと、トライしましたがもうたいへん。


で、晴れの行きやすい日に棋院に行くことにし、雨の日に読書に親しもうとか……。この頃は、温暖化現象で晴れの日も大変です。なので、猛暑日も家にいる、ということで、如何でしょう。


その時が来たらまた考えることにします。。。