2025年7月14日月曜日

今日のコラム


 

7月11日の新聞のコラムなんですが~~~、


『折々のことば』です。


「幸福な家庭はすべてよく似かよったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である。」


『アンナ・カレーニナ』の書き出しだそうです。寺山修司は逆に、


「不幸はいつも同じ顔をしているが、幸福の顔は、それぞれ違っている。」


と言っていると紹介されていた。


鷲田清一さんは、「幸福を一つの達成と考えるか、目的とは無関係な悦びと捉えるのかの違いか。」と分析していた。





わたしは、トルストイに賛成です。「幸福」とは一つの概念であり、それ以外は幸福を探す途中の道程の一つだと思う。だから、一つ一つ違う。幸福に辿り着く前の道のりを「不幸」とするとである。


わたしは、常々「善は単純だが悪は複雑だ。」と感じていた。だから、「善」をテーマにする作品はあまりないが、「悪」の方は千差万別に存在すると。魅惑的だ。


以前漫画(藤子不二雄?)で、良いことばかりする男の子のヒーローが、あまりにも「善」なので、周りの人達に疎まれる、というスーパーマンのパロディみたいなのなかったですかあ~。


「善」は、仏教の「悟り」のように、いろいろな悪を引き剝がした究極の存在だ。だから、単純で孤高だ。凡人には辿り着けない厳しい道則。


だから、いろいろな不幸話や悪の世界を楽しみましょう。もちろん小説での話です。






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