2015年10月17日土曜日

ムカデ(上海滞在記 3)


友達と「銀アクセサリーの作り方教室アンド材料販売」の仕事を上海で始めました。わたしはそのために上海に来たのではなく、ちょっと友達に会いに来ただけの事でした。そこでいろいろな経緯がありこういうことになってしまったのです。なので、わたしは実はオブザーバー気分なのです。

 

しかし、彼女はどんな仕事も片っ端から受けます。夜遅くの授業も引き受けてしまいます。しかし、上海の人は絶対と言っていいほど約束の時間に現れません。その日も、会社終わりに教えてほしいと言う生徒の予約が入り、夕方7時の約束でした。案の定生徒は現れず。友達の携帯に連絡が入りました。9時にしてくれと言うオファーです。もちろん、彼女は引き受けました。

 
 
 

 

その日、夜11時過ぎに帰宅しました。真っ暗なアパートメントに帰り、灯りをつけるとベッドの上にムカデがいました。まるで、わたしの代わりに安眠を貪っているように。それもわたしのベッドで。辺りを見回すと新聞紙が目に入りました。サッとそれをわしづかみにし、くるくる巻いて棒状にすると、思いっきりムカデを叩きました。

 

それは一瞬の出来事でした。ベッドの上のムカデを見たとたん、わたしの頭は「怒り」で真っ白になってしまったのです。つまりわたしは何も考えることなく、一連の動作でこの仕事をやり遂げました。「怒り」はあったものの、頭は冴えていてとてもクールでした。感情なしに人を殺せるクールな殺し屋といったところ。そして、ベッドの上獲物を見下ろします。

 

ムカデは見事にバラバラに。ムカデはバラバラになった何百というその脚とひとつのボディとなってベッドの上にいました。わたしのベッドの上で……。わたしは同じくクールに傍のティッシュペーパーの箱からティッシュを一枚抜き出して、ムカデのボディをティッシュでつかみ近くのゴミ箱に投げ入れました。

 

さて、残りの何百本の脚をどうしたものか。先ずはティッシュで脚をベッドから払い除けました。何百ものムカデの脚は今、ベッドの下の床に散らばっています。その悲惨な状況を見たとたん、わたしに感情が戻ってきました。わたしの眼から静かに涙が流れ始めました。知らず知らずに泣いていました。何かがわたしの身体を満たすのを感じました。頭のてっぺんからつま先まで。

 

「わたしは、何故ここにいるの。」

「なんでわたしはここに居なければいけないの。」

「どうしてこんな事になってしまったの。」

 

わたしは、とにかく自分を落ち着かせようと試みました。ムカデなんてどこにでもいるじゃないか。日本にもいる。日本のわたしの家で見かけたことだってある。そして、ムカデはいつも不意に現れるもの。予告なんてない。何も今日の出来事が「特殊なんだ」、という事じゃない。そんな日常の一遍に、たまたま「上海」で遭遇しただけの話じゃないか。それだけの事だ。

 

わたしは涙を拭って、自分に語りかけました。わたしは自分の人生をどこにいても冷静に受け入れなければいけない。どんな時も。それは思っているより簡単なことかもしれないよ。わたしには出来るよ。結局、人生は単純なもの。生きていくだけの事だもの。

 

わたしは、床に散らばった何百ものムカデの脚をティッシュペーパーで掻き集めると、何もなかったように静かにベッドの下に滑り込ませたのでした。









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