2015年10月25日日曜日

上海再上陸  (2003-2005)


上海でお店を出すという男の子にアクセサリーの作り方を教えるために、もう一度上海にやって来ました。一カ月でお店を出すってどういうことと思いましたが、ワンさんがそう言うので「まあいいか」と。

 

2003年9月1日上海着。天気は快晴。とても暑いです。残暑です。中国では、秋虎と言うそうです。秋になっても猛威を振るう虎という意味とか。メイが再び空港に迎えに来てくれました。新しいホンダに乗っての登場。「その車どうしたの?」って聞いても答えてくれません。その上、車はオートマ。以前は、ミッションだったんですけど。

 

どうも彼女の夫の仕事の関係で手に入れたようです。中国は日々前進しています。彼女の夫は、若い頃、自分が自動車を所有する身分になるとは全然考えてもいなかったと言っていました。せいぜい良いとこ、モーターバイクを持てるくらいのもんだろうと。しかし、彼はホンダ・アコードを持てるようになりました。メイの夫のお仕事については、またの機会に。興味深いですよ。

 

車のことについてお話しますと、所有するには相当な額が必要なようです。先ず、ナンバープレートを取得することが大変。取るだけで10万元おおよそ150万円です。というのは、車が増えすぎるのを抑えるため、上海政府は月に3000件しかナンバープレートを発行しないからです。加えて、ナンバープレートの順番待ちやら、便宜を図ってもらうための賄賂などの費用が掛かります。メイが乗っていたアコードは新車で買うと300~400万円するとのこと。そして、プラス、ナンバープレート代ということになります。

 
 
 
 

とにかくその車で今回はホテルではなく、アパートに向かいます。わたしが住むことになるアパートは、出発前にメイがメールで内装などの写真を送ってくれていました。とても豪華そうでしたが、着いたら「ごめんね。あの部屋は借りられなくて違う部屋だけど中は一緒ね。」と言います。

 

アパートの外観はとても素晴らしかったです。高級アパートメント団地といった感じで中には児童公園、コンビニ、レストラン、クリーニング屋などなどがありました。もちろん、立派な門があり、制服を着た守衛さんが常駐しています。部屋は、ベッドルームとリヴィング、そしてバスとトイレ。場所は上海体育館の前で立地条件は最高です。地下鉄の駅も近くにありました。

 

内装は写真とは少々異なっていました。また、部屋が一階にあって、防犯上窓が開かないとか、金網が張ってあるとかしました。今では、ワンさんがケチったのだと言う事がわかりますが、その時はつゆ知らず。また、わたしにはバスタブが必需品なので、必ずバスタブのある部屋と頼んでいました。バスタブはあるにはあったのですが、栓ができなかったのです。その辺は、後で修理するからと言われ、わたしもとりあえずの一カ月だけの住まいなので「まあ、いいか。」と妥協しました。しかしそんなことは中国のこと、なにもスムースに行きませんでした。その時のわたしは「無垢な日本人」でしたから、素直に受け入れるしかありませんでした。

 

 

その日、「どこに夕食食べに行くか。」と聞くので、月曜日はいつも何でも半額で食べられるビアバーがいいんじゃないのかと言うと(9月1日は月曜日)、そこは予約が必要とメイは言います。「ふーん、じゃ、どうしようか?」と言うと、彼女は、「へ~~~~ん、もう予約してあるよ~~ん。」と。

 

完全にはめられました。

 

それで、行きましたビアバー、 ドイツ風ビアレストラン。 メニューが半額の時間は8:30までです。それで彼女はいつもその前に、2リットルのビールを飲めと命令します。8時半の5分前でもいいからお変わりせよと。つまり1リットルのビアマグを注文し、8時30分前に追加注文せよと言う意味です。

 

わたしは500ミリリットルのマグを本当は飲みたいのですが。なぜなら、常に冷たいビールを飲みたいから。でも1リットルのマグの方が安い。「どうせ飲むんだから、初めから、安い方を飲め。」との彼女の主張です。わたしは、何とも反論できません。なぜならそれが真実だから。そして会社のおごりだからです。

 

という訳で、二人で「ぐだぐだ」飲んで再会を祝い、上海の1日目の夜は無事に更けて行きました。二日目からのことは知りません…、どうなりますことやら。








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