2015年10月15日木曜日

上海滞在記  2003~2005 ①


2003年の7月に上海の友達に招待されて上海にちょっとしたはずみで行きました。それが、なぜか上海で商売をすることになってしまったのです。そして約2年上海で暮らしました。今年は2015年。10年余り前のお話で現在の上海の実情とはだいぶ違っていると思いますが、その頃のことを思い出してここに記します。北京オリンピックや上海万博の前のことなので相当の変化があるでしょうが。

 

少し前テレビを見ていると、上海の地下鉄で事故があったというニュースがありました。ぼんやり眺めていると、豫園という駅での出来事でした。「あれッ、わたしがいた時は豫園に地下鉄は通じていなかったのになあ。」と。そこでこんな物思いに耽ったのでした。

 
 
 

 

『地下鉄の怪』

 

わたしが上海に滞在していた時は、地下鉄は三路線だけ。その他あちこちで工事中だという事は聞いていましたが。友達が自慢気に言っていたのを思い出します。「名古屋には地下鉄はあるの。」って。

 

地下鉄1号線と2号線は、人民広場という駅で乗り換えができました。地下鉄は、最初にできた路線が次にできる路線の上に位置します。最初の路線の下に第二の線路を敷設しますから。

 

上海滞在中に一度デパートでのイベントを持ちました。銀アクセサリー制作のワークショップです。上海で一番大きいデパートということで、上海自慢の最新のデパート。という事は、少々都心から離れているということ。そこに二週間毎日通うことになったのです。つまり、毎日人民広場で地下鉄を乗り換えたという事です。

 

その乗り換えがとても変わっていたのです。普通は新しい路線が下にあるので階段かエスカレーターで移動しますよね。それをひたすら歩くのです。100メートル以上は歩いたと思います。なぜ、歩くだけで乗換駅にたどり着くのかと不思議でしたが、その道はゆるい螺旋状になっていて、そして気付かないほどの傾斜があるのです。

 

最初のうちはとても面白く感じました。少しずつ下っているので、自然に少し早足になっていくからです。わたしの周りの人たちも普段より足早になっています。しかし、毎日同じようにその道を通っていると段々疲れてきました。上海のデパートは朝10時から夜10時までの営業。なので、わたしも営業時間中働いていたのです。その道を毎日通っていると、まるで地獄の底に吸い込まれていくようでした。老若男女、乳母車を押すお母さんも足早に道を下っていくのでした。

 

後に思いました。上海はどこもかしこも人、人、人。その人の流れを緩和するためにそんな方法が採られたのではないかと。逆の乗り換えには、階段がありました。その階段を昇ればすぐに第一路線の駅に着きます。帰りは簡単でした。

 

 

『第二話』

 

わたしが住んでいたすぐ近くの駅の話です。同じく地下鉄ですが、郊外に住んでいたので駅は地上に出ていました。ホームから階段を下ると道路に続く道に降り立ちます。階段を下りて道を歩いているといつも目眩がします。わたしはサングラスを掛けているからだろうかと思いました。それである日、サングラスを外してみました。しかし、相変わらずなんだか目眩が。なにやら変な感じです。後ろに倒れてしまいそうな気がするのです。

 

ちょっと立ち止まって周りの人たちを観察してみました。彼らはふつうに歩いています。が、通路をよく見るとほんのわずかに上り坂になっているようでした。ほんとに、ほんとにわずかなスロープです。だから、わたしは水平な道を歩いていると思いながら進んでいるので、意識と身体の動きの違いから目眩が生じるのではないかと…。遊園地にあるビックリハウスのような感覚です。まっすぐ立っていると思っていると、まわりの壁が斜めになっていて、実は、人は前かがみになっているのだというような。

 

実際のところ真実はわかりませんでしたが、ある日通路の壁と通路の作り出す角度を観察したところわずかながらの傾斜があったように思えました。しかし勘違いかも。真相は謎です。

 

 

『第三話』

 

最後の地下鉄の怪のお話は、上海中心街の地下鉄の駅のことです。わたしは郊外に住んでいると先ほど書きましたが、その前は上海繁華街のど真ん中に住んでいました。「Shangxin Nan Lu Station」は、わたしが住んでいた場所の次の駅でした。そこによく行きました。というのは、その駅の真ん前にParkson Department Storeがあったからです。イギリスのデパートで地下にスーパーマーケットがあり、日本で普段使い慣れているものが売られていました。シャンプーとかチーズとかです。

 

美味しいパンもおいてありました。日本にいると日本がいかに西欧化されているか気が付きません。その頃の上海は、まだまだ西欧化されておらず、町に喫茶店もありません。中国茶を飲む喫茶店はたくさんありますが、コーヒーを飲める喫茶店はなかったのです。上島コーヒー店は見られましたが、コーヒーを飲むところではなくお食事をする場所でした。イタリアンレストランやフランスレストランなどの洋食レストランはなく、ステーキハウスもありません。あったのはマクドナルドやケンタッキー・フライド・チキン、ピザハットです。あとは全て「中華料理店」でした。ですから、わたしは「パークソン・デパート」だったのです。

 

地下鉄の駅から階段を上っていくと、上から三段目のステップでつまずきます。それも毎回です。ある時何故だろうかと考えました。するとそこだけステップの高さが違うのです。少しだけ他のステップに比べ高いのです(高さの幅が違うというのでしょうか)。そこをわたしは同じペースでトントントンと上っていくので、つまずいてしまうというわけ。しかしそのことを気付いた後も、注意しなければと思いつつ、つまずいてしまうのでした。

 

 

 

中華人民共和国、万歳。








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