2013年8月13日火曜日

プライベート英語レッスンからの・・・



新聞記事の切り抜きは、わたしの趣味のひとつでもある。その中に「英小学校、外国語必修に」という記事がある。次のプライベート英語レッスンの先生は英国人なので、こんな記事は興味あるかなと思った。しかし、先生は英語の記事を持ってこいと言うので、この記事の由来の記事をネット検索すると、どうもこの6月に英国政府が発表したものらしい。朝日新聞は、この記事を11月29日に掲載している。なんだ、日本の新聞もいい加減だなと思うが、その記事を12月末になって話題にしようとしている「わたし」もナンダカナ…と思う。



先生は「全然知らない」と言う。まあ、当然か。英国人だからと言って、英国の事を全部知っているわけはないのだから。記事の内容は、英国政府が小学校で外国語を必修科目にする方針を固めたというもの。労働党の政府下で2004年、14歳以降の生徒に外国語が必修科目ではなくなり(だから、以前は14歳から外国語は必修だったという事)、履修者が激減し、近年の欧州14カ国での外国語の学力調査で英国は最下位になった模様。その挽回を計るためか現連立政府は、仏、独語や中国語、イタリア語、スペイン語、ラテン語や古代ギリシャ語から各小学校が一つを選んで教える計画である。2014年からの実施予定。



この記事を読んで先生の第一声は、「ほんとに、英語以外の言語を学ぶ価値があると思うか」というもの。「英国人が他の言語を学ばないと言って、フランス人はannoyedしているらしいけどね」っと。だから、「わたしもannoyedしてる」と言ってやった。その辺は、英国人だから「皮肉」は通じる。彼は、ニヤリっと笑った。「でも、英語以外を知らないでどんな不都合があるの」とかぶせた。



もちろん不都合はいっぱいある。イギリスもEUのメンバーである。その会議では通訳が暗躍する。フランスやドイツ、その他の国の人は外国語を学んで使いこなしている。で、優秀な通訳が排出される。が、イギリスは、その座に居座って、良い通訳を排出しない。それは、ひいてはイギリスの国益を害していることにならないのか。また、言語は文化である。ひとつの言語に引き籠って、それしか理解しないことは、このグローバル世界に乗り遅れることである。これは逆説ね。英語によるグローバル化が、「英語だけスピーカー」を排除するとは。



もうひとつメディアも問題だ。メディアは異常に英語に迎合している。パレスチナとイスラエルの問題でなぜインタビューで彼等は英語で答えているの。英語を話す人にしかインタビューしていないのか?あるアメリカメディアは、英語を話さなければ世界に発信できないと言っていた。なぜ?どうせニュースでは翻訳が流れるでしょう。アメリカやイギリスの中でも、地方の人が話す時はサブタイトルが流れると聞いたよ。



この記事に対するコメントで「わたしは5~6ヶ国語話せるが、まだ、自分のムード(感情)を表わせるのは英語だけだ」とあった。それが正解だと思う。それぞれの言語にしか表わせられないそれぞれの感情があるのだ。そのそれぞれの言語・感情を尊重するところに、真のグローバル世界が実現されるのでは。



スピヴァクが言う。比較文学によって利益を得るということは、グローバルという感覚をつかむことだ。…支配的な言語が翻訳の言語であると見なされ、そうした支配的な言語による翻訳しか読まれなくなると、「翻訳されたという事実」が消えてしまいます。



だから、



英語を学ぶということは、単なるコミュニケーションとしてのツールとして学ぶのではなく、英語の心を知りたいから学ぶべきなのだ。(わたしが英語を学んでいるのは、あなたの国の美しい詩が読めるようになりたいだけなのです。)そういう気持ちが湧いて来た時、支配者の呪縛から解放され、わたしたちは平等な世界を築く事ができる。







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