2013年8月13日火曜日

2.そしてわたしはケープタウンへ旅立つ

『英語と旅する』のつづきです。







「英語を学ぶのになぜ南アフリカか」というのが、帰国後、わたしに浴びせられる周りの言葉だ。わたしは英語がキライだ。だから海外旅行をしようなどと思ったことは、まったくない。わたしが大学を卒業する頃、卒業旅行に行くことが「走り」だった。中には、卒業旅行に出かけた友達もいたが、わたしは興味なし。そこで、この歳になって「海外に行こう」と思った時、「飛びきり変わったところへ行こう」と、一番に思ったのだ。



ケープタウンの学校は、通信教育の雑誌で見つけた。その頃インターネットは、まだまだわたしの手の届かぬとことにあった。滞在期間を二週間と決め、あとはすべて雑誌が紹介しているエージェント任せ。なにしろ初めての海外旅行、パスポートを取るところから始めなければならなかったので、自分で旅行をアレンジすることなど、その頃は頭にも浮かばなかった。



ケープタウンまでは、ほぼ二十四時間。名古屋から関空、そしてヨハネスブルグ、ケープタウンの道程だった。一番に驚いたのは、名古屋の家の最寄りの駅から地下鉄に乗ってヨハネスブルグの空港に降り立つまで、まったく外の空気を吸わなかったこと。地下鉄、近鉄、空港、そして飛行機に乗りヨハネスブルグまでずっと建物の中。一度も外に出ることはなかったのだ。そして初めてヨハネスブルグの満面の光の中に降り立って、アフリカの空気を一気に深呼吸をしたのだった。アフリカの光は強烈で、アフリカの空気はわたしの肺の中まで暖かく沁み渡った。はじめての海外の空気・・・、少々興奮を覚えた。そしてそこから国内線に乗り換えて一路最終地ケープタウンへ向う。



ここまではすべて順調な旅だった。ケープタウンへの国内線乗り換えも順調にこなせた。しかし、順調だったのは、あくまでもここまで。ケープタウンの空港に学校からわたしをピックアップする運転手が来ることになっていたが、それらしき人が全く見当たらない。お迎えらしい人々が、それぞれに名前を書いた紙をかざして、目あての人を探している。しかし、わたしの名前はなかった。連絡先の電話番号は持っていたが、どのように連絡したらいいのかわからない。仕方なく、その場を動かないでひたすら待つことにした。そうしている間にも、同じフライトで来た旅行者たちが、ひとり、ひとりと迎えに来た人たちと消えていく。「お迎えの人は時間通りに来るもの」と言う日本のルールは通用しないということを知る初めての洗礼だった。2時間くらい待って、もうほとんど泣きそうになった時、一人の女性がわたしの名前を書いた紙を持って近づいてきた。

「ごめんなさい。国際線空港で待っていた。国内線だったんだ。」と。

わたしは、怒るよりも何も、ただただピックアップしてくれる人が現れたということに安心して気が抜けて、引き攣った笑いを返すことしかできなかった。





つづく・・・



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