2013年8月13日火曜日

『ベーシックインカムは究極の社会保障か』を読んで



前回も書きましたように、いろいろな論客が「ベーシックインカム」について、この本の中で語っています。「本書は2010年9月に出版された『POSSE Vol.8』の特集『マジでベーシックインカム!?』に掲載された論文を中心に再構成したものである」との注釈がついていました。



ベーシックインカムとは、簡単に言うと「基本所得」を総ての人に平等に給付するものです。これに似たもので「給付付き税額控除」があります。経済学者ミルトン・フリードマンが提唱した「負の所得税」をベースにした考えです。フリードマンとは、あの有名な『資本主義と自由』の著者です(わたしなりの皮肉です)。その違いは、ベーシックインカムは、働かなくても最低限生きていけることを主眼としていますが、「給付付き税額控除」は働く事を受給の前提としていることです。つまり、働きたくても仕事のない人たちに対してベーシックインカムは有効ですし、何かの事情で働けない人々に対しても有効です。



この本を読んで、ベーシックインカムは大まかに三つのアクセス方法があるのかと思いました。ひとつは、新自由主義の人たちの理論。「福祉」をベーシックインカムに集約し、福祉に対する財源を減らそうとするものです。ベーシックインカムに一本化すれば、年金、雇用保険、生活保護手当、福祉手当、児童手当などなどを廃止できることができます。



ふたつ目は、資本主義という現在主流の考えを否定することなく、その中で理想の社会を作ろうとする人々たち。つまり、福祉国家は公的な給付故に、その受給要件が厳しい。そして、我が国の生活保護にも見られるように、受給者がいろいろなことを国家に詮索されて、恥辱感を持つことが否めない。ベーシックインカムは無条件に支給されるものなので、政府のいらぬ詮索もなく恥辱感がなくなる。そして、ユートピア的な観点から言うと、生活に必要な基本的なものは支給されるので、「働く」という意味が変わって来るということ。自分の好きな仕事を選ぶことができるということになります。



最後は、資本主義・社会主義、公的・私的(個人)という二元論から解き放たれ、第三の「何か」を模索しようとするものです。わたしは、この第三の理論に超興味があります。資本主義は人類最後の最高の概念ではない。人類の歴史は頂点に達したのではなく、まだ、発展途上なのだというわたしの「思い」にマッチしています。



第一、第二の理論の弱いところは、先進国の間でベーシックインカムが達成されて人々が気の向かない「労働」から解放されたとしても、その附けが国内の移民労働者や第三世界で働く人々に回されるのではないかということです。また、働きたくても働く仕事が物理的にない場合、ベーシックインカムが支給されているから良いじゃないかと言うことになってしまうという事。つまり、仕事の場から疎外されて、より一層の「孤独」に向き合わなければいけない。「働けない仕組み」を問うことがお座成りになるということです。



この本では9人の論客が意見を述べています。その中で、わたしが興味を持った三人の人がいます。萱野稔人さん、佐々木隆治さん、斎藤幸平さんです。



萱野稔人さんは、資本主義の限界について述べています。彼によれば、高度成長は一回しか起らないという事。都市化と人口増加が終わった先進国では、市場が拡大しないので労働力が必要なくなる。そして、失業の蔓延化。経済成長は歴史的な例外で成熟社会とは以前の「常識」に戻るということ。彼は、資本主義は市場経済とイコールではないと言っています。市場経済は、市場の外でお金(税金)を調達できる存在(国家)に依存しなければならない。市場が機能不全に陥った時、国家がいろいろな市場の矛盾を肩代わりする事で、市場の崩壊が食い止められると。市場は国家に内在的に依存しているので、国家の存在をも含んだ上での経済システムを志向する事が望ましいと言っています。(しかし、これでは、「個人と国家」という二元論からは脱却できませんねえ)。



佐々木隆治さんの見解。彼は、「市場の論理を野放しにしたまま、いくか貨幣を一律に分配(ベーシックインカム)しても、原理的には生存を保障することにはならない」と言っています。



市場とは、なんの利害関係も持たない人同士がモノを交換するという事。そこには個々の人格はなくただモノの有用性だけが意味を持っています。(知り合いだからまけておこうとか、家族だからタダにしようということは一切なし)。そして、そのモノの価値を普遍化するために貨幣が必要なのです。貨幣が重要な物となればなるほど、生産は貨幣を目的として行われるようになる。貨幣さえあれば、個人は他者に依存することなく社会的力を行使し、他者を動かすことができる。つまり、市場競争の中でのみ個人は自由で平等で、そこで認められた所有こそが正当だという観念が生まれる。ベーシックインカム論も同じように貨幣を使って生存や自由の問題を解決しようとしている。問題は「脱労働」ではなく「脱商品化」である。



つまり、賃労働でお金を得、そしてそれでモノを買わなければ生きていけないというシステムを変えなければいけないという事。市場経済の外でモノを生産し、絶えずモノの偶然的関係性に振り回されることのない社会を作り上げていくことです。(う~~~ん、段々第三の理論が見えてきましたね。)



斎藤幸平さんの記述。彼は「市民労働」という概念を提唱しています。稼得労働のみが意味のある労働形態ではない。家事労働、環境保護活動やボランティアというお金を得ることのできない労働も社会に不可欠な労働である。そこで、市民労働に従事する市民に支払われる「市民給付」というコンセプトを打ち出しています。もうひとつは、個では生産できない資源やサービスを市場の媒介なしに全ての人に保証する事。



ドイツの既存の社会運動で、賛同者による共同出資によるコミュニティというものがあるそうです。そのコミュニティそのものは市場原理から逸脱できませんが(有限会社であるし)、住民は非営利の社会的インフラを構築し、貨幣を介さない住民同士の交流が図られます。必要な物を共同しながら自ら生産し管理し消費する事。これは同時に新たな民主主義の実現の息吹も感じられます。





ということで、



今、ネグリ&ハートの『コモンウェルス』を読んでいます。





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