2013年8月13日火曜日

ケープタウン篇



『英語と旅する』連載中



ケープタウン篇





 一日だけ奇跡のような日があった。リスニングの練習で天気予報のテープ(この頃はテープだったと思う)を聞いている時、全くわからなかったが、どういう訳か一カ所だけ完璧にわかったのだ。キャスターが、いろいろな地方の天気予報を順次報告するその一つの地方の天気予報だ。先生が順番に生徒に質問をする。「この地方の天気予報はどうでしたか」と。それで、わたしは心の中で「お願いだから、わたしが聞きとれた地方をわたしに当ててください」と祈るばかりだった。



「はい、ナオコ。この地方の天気は。」と、それが奇跡的に、ピッタリわたしの聞きとれた地方。

「はい。今日は一日中お天気ですが、東よりの風が強く寒い一日になるでしょう。低気圧が近づいてきており、明日は曇り後雨になる模様・・・・。」

先生が、「パーフェクト!」と。ほかの生徒も「オオーッ」ということになり、その時だけ、わたしはクラスのヒロインだった。





 一週目は、午後のクラスはなかったので、学校が企画しているツアーに行ってみることにした。わたしが行きたい所をリスト・アップした中にテーブルマウンテンがあったが、ちょうどそのツアーを学校が提供していたのだ。テーブルマウンテンは山頂がテーブルのように平らなところから付いた名前だ。ケープタウンの街はこの山麓からはじまっているので、街のどこからでもこのテーブルマウンテンを見ることができる。



学校が企画したツアーと言っても、ただ、生徒を集め山まで連れて行って、また帰りも宿泊しているところに送ってくれるという簡単なもの。山頂まではケーブルカーで登るのだが、それも個人的にチケットを買って乗る。このツアーに生徒が三四人参加したと記憶しているが、その中に日本人を見つけて驚いた。はじめての日本人だった。お互い数少ない日本人に遭遇したので、景色もそこそこに日本語で話し始めた。



彼女の名前は光江さん。二十代半ばの若い女性だった。九か月このケープタウンに滞在して英語を勉強すると言っていた。わたしより二三週間前に来たらしく、学校生活は先輩だ。どうして学校で見かけなかったのだろうかと不思議だったが、たぶんわたしが緊張していて、まわりを見る余裕などなかったのだろう。不思議なことに、彼女に会った後には、彼女を学校で見かけるようになった。



わたしはもうこの歳でもあるし、仕事に英語を活かすとか仕事のために英語が必要とか言う切羽詰まったものではないが、彼女にとってはこの九カ月が勝負のようだった。何がなんでも英語をマスターすると。そのために、学校が終わってから英語を話すメイトを持っている。アフリカ人だと言っていた。「だけど、アフリカ人って、馴れ馴れしいのよ。すぐ触ってくる。」と。別段悪意があるわけではなさそうだが、わたしもそんな経験をした。わたしが学校の休み時間にラウンジに坐っていると、必ず近づいてくる男の子がいる。カメルーンの一九歳の男の子だ。なんだかんだと、わたしの肩をさわったり、はめている指輪をさわったりする。一九九八年はワールドカップの年で、フランスで開催されていた。カメルーンの彼は、学校が終わったらフランスに行って、カメルーンを応援するのだと言っていた。いっしょに来ないかと。こんなおばさんに何を言っているんだと思ったが、まあ、悪い気はしなかった。あとで、光江さんは「アフリカ人はやめて、中国人の男の子とメイトになった」と話していた。「中国人は礼儀正しくて、さわってこないから安心」と。





光江さんがこの学校にはもうひとり日本人がいると教えてくれたが、彼女はプライベートコースを取っているので、なかなか会えない。金曜日に学校のパーティがあって、ようやく彼女と会うことができた。見かけは極普通の日本人のお嬢さんという感じ。しかし、話していると、一年間くらい、そこら中を旅しているとわかった。この学校も旅の途中で見つけて入ったので、プライベートコースを取っているという。



海外の学校に行くと、こんな様な人によく会う。実際、同じクラスのスイス人の男性もそうだった。聞いた話では、パン屋さんの社長で、といってもパンのチェーン店のようなものと思うが、旅を続けてもう一年は家に帰っていないという。「社長さんは、いいわね。働かなくてもいいから。」と同じスイス人の女性の感想。その彼女にしたって3カ月のホリデイを楽しんでいる最中らしかった。こんなことも日本にいるだけでは決して知ることができないことだなあと思う。





つづく・・・

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