2013年8月13日火曜日

クラス分けとなりました・・・

『英語と旅する』のつづき・・・、



ケープタウンの学校の話の続編です。





 わたしのインタビューの番が来た。ケープタウンに着いてからもう3日間も経っていたので、少し落ち着いた気軽な気分だった。最初は、「どこから来たのか」とか「名前は」などの簡単な質問。わたしが名前を告げると、イングリッシュ・ネームはないのかと言う。そんなことを聞かれたのは初めてだったので、「What?」、と叫んでしまった。彼女は、「いいのよ。いいのよ。」と、なだめる様子。その時は、「何を聞いているのか。」と怒りにも似た感情を抱いたが、あとで中国人などの名前は発音ができないので、彼等はイングリッシュ・ネームを持っているのだとわかった。しかし、この時はなにか傷つけられたような気がしたのだ。その後も「わたしは、イングリッシュ・ネームは持っていない。」とはっきり主張している。



 その後の質問は、ところどころ詰まったところもあったが、概ね良かったと思う。また、生徒たちは、同じ部屋に集められた。今度は先生が一人一人の名前を呼び、その呼ばれたグループが教室から連れられて行く。クラス分けのレベルの低いクラスから呼ばれているらしい。わたしの名前はなかなか出てこない。あと二三人というところで、名前が呼ばれた。わたしは、いったいどんなクラスになってしまったのだろうかと、とても心配だった。





 この時名前を呼ばれたのはわたし一人だけで、ひとり教室に連れられていった。教室には七人くらいの生徒が坐っていた。わたしを連れてきた人は、学校のスタッフらしく、わたしは先生に引き渡された。空いている席を示されて、わたしはこのクラスの一員となる。はじめはお定まりの自己紹介。それによると、スイス人が3人、アフリカ人が1人(スイマセン。アフリカの国名を知らなくて。中央アフリカのフランス語が公用語の国です。)、イタリア人が1人、ドイツ人が1人、そして日本人のわたし。ここまでは、意気揚々とわたしも英語を話していたが、ここでビックリ、ヨーロッパの人たちは本当にペラペラと饒舌に英語をしゃべっている。その光景に驚いて、わたしはいつもの人見知り性格に逆戻りしてしまった。ちょっと、出鼻を挫かれた。



 先生は若い女性。自分のことを「カラード」と言っていたので、カラードとはここでは差別用語ではないのだと思う。名前はキンバリーで、南アフリカの有名な「金山」と同じだ、と自己紹介した。彼女は、「自分はいろいろな人種の血が混ざっている、中国人の血も入っている」と言ったが、見た目は褐色のアフリカ人という感じだった。とても情熱的な人で、日本の英会話学校の先生とは全く違っていた。後々、いろいろな海外の学校で学ぶうちに、なぜ海外の学校の先生は「ちゃんと先生」なのかという理由がわかってきたが、この時は「なんて素敵な先生なんだろう」と単純に感激した。





 午前中の授業は三時間。しかし、90分授業が二枠だ。日本人ではない生徒との90分の授業はとてもタフだった。なにしろ日本語がまるっきり通じないのだから。さてこの調子で午後からの授業はどうなるのだろうと思っていると、午後の授業のクラスにわたしの名前がない。あわてて、スタッフに問い正す。わたしは午後の授業を取っていないことになっているとのこと。「えっ、そんなはずはない。」と主張したが、通るわけがなく、「午後から英会話の授業を取ったらどうか」と提案される。一週間で50US$とのこと。その頃一ドルがいくらだったかは覚えていないが、130円、140円?とにかく安いなあと思って飛びついた。今週はあと3日しかないからと、来週からということになる。

 



つづく・・・、



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