2013年8月13日火曜日

『英語と旅する』 南アフリカ篇



ケープタウンにて





わたしが南アフリカ共和国に行ったのは、ゴールデンウィークも終わった五月中旬のこと。空港に降り立ったのは、土曜日だった。日曜日にホームステイ先の近所を探検して、月曜日から学校が始まるというのがわたしの予定表だった。しかし、お迎えの運転手さんが、月曜日はナショナルホリデーで学校はお休みだと言う。ちゃんと調べておけばよかったが全然知らなかった。着いた途端に連休となった。

運転手さんとは、いろいろおしゃべりができた。わたしも英語で答えることができ、彼女は親切にも「英語、うまいね。」と言ってくれた。よかった。これで2週間、ここで学校に通う自信も出てきた。ホームステイ先に行く前に、学校の場所や近所を案内してくれると言う。学校の方へ向かったが、車中であるし、全然知らない道であるし、さっぱりわけがわからなかった。しかし、とにかく学校の付近に何があるかなどの目印を見つけるべく、少しでもいろんなことを覚えておこうと必死に頑張った。なんやかんやと、家を出てから二十四時間。ようやく宿泊先のファミリーの家に着く。ホスト・ママとの紹介が終わって、運転手の彼女と別れる時が来た。少し不安が横切ったが、なるようになるさと居直る。



「南アフリカ共和国ってどんな人たちがいるの」と、帰国後、よく尋ねられた。そんな時、こんな風に説明する。

「南アフリカは、ずっとアパルトヘイト政策を取っていたでしょ。1948年に人種差別的政策が法制化されて、1994年にやっとこの制度が撤廃されたの。だから、それは、わたしが行った1998年のほんの4年前のことなのよ。非白人、特に黒人が解放されて、黒人居住区から出ることが許されたのだけど、その頃彼等は都市まではまだまだ辿り着いていなかった。それから、アパルトヘイトが崩壊すると、支配者側の白人は逃げ出して、ケープタウンでは、あまり見掛けなかった。わたしは一人か二人、ほんとにビジネスマンといった風体の白人を見ただけ。背が高くて、いい体格で、上等そうなスーツを着たアングロサクソン。だから、ケープタウンには黒人もいないし、白人もいない。いるのは、カラードと呼ばれている混血の人たちとアフリカーンスと呼ばれているオランダ系の入植者の子孫。アフリカーンスは統治側のイギリス人に対して経済的弱者だったから、その緩和策としてアパルトヘイトの政策を取った訳。つまり、怒りの矛先を黒人に向けさせようということ。それが崩壊して、実際に都市で働いている人は、そういうオランダ系らしき人とカラードと言われている人達。都市に流れ着いた黒人もいるけれど、まだほとんどがホームレス、そしてストリート・チルドレンだけなの。」





そう言う訳で、ホストファミリーのママはオランダ系アフリカーンスだった。





つづく・・・



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