2013年8月13日火曜日

序章 2

『英語と旅する』



序章 (2)



さて、一回目。先生はカナダ人の30歳くらいの男性。今からおよそ15年前のこと、展示会に来てくれたドイツ人の女性は別として、外国人と相対して話をした経験など一度もなく、緊張して教室に坐っていました。生徒は私以外にもう一人いました。わたしの職業がフリーランスなこともあり、英語の授業は昼間に受けていたので、生徒の数はたいてい少なか

ったのです。



先生の言うことは、なんとなくわかる・・・というより想像できるという程度。話す方はというと、自分の思う事が英語となって出て来ない。もう一人の生徒は30歳くらいの女性でリラックスした様子。わたしは、ただただ彼女の流暢さに感心するばかりでした。授業後、「凄いね~~~」と彼女に言うと、「なれれば大丈夫だよ」との返事が返ってきました。そうかな、ほんとにわたしに英語が話せる日が来るのかしらと、少々落ち込んだ初日でありました。



この学校には三人の先生がいました。一人は、初日のカナダ人の先生。もう一人は、ハワイの日系三世の女性。見かけは日本人そのものですが、日本語は全然わからないようです。最後の一人はどうみても日本人に見えましたが、日本語は片言。帰国子女かなと想像しましたが、最後までわかりませんでした。とにかくそれぞれ良い先生で、五回のフリークラスが終わった後、一年の契約を結ぶことにしました。やはり、広告にしてやられたのでしょうか。



週一回一年間、学校に通っているうちにいろいろなことがわかってきました。ちょっと大袈裟かもしれませんが、これまで通りの「日本で日本人だけと接する生活」をしていてはわからないようなことが経験できたのです。当然のことながら彼等も同じ人間だということを実感しました。とかく日本人は(その当時は、あるいは今も)、英語を話している人は「かしこい」と思いがちです。わたしたちが理解できない「英語」を話しているからです。少し考えれば、彼等が英語を話すことは、わたしたちが日本語を話すことと同じ次元の事だとわかります。そんなこと当然だと思われるでしょうが、長い英語学校の経験を通して、「先生の言うことは第一、そして正しい」と単純に信じている生徒が多くいると感じました。美人を見ると、「何か素晴らしい事を言うだろう」と期待してしまう心理学のテストに似ているかもしれません。英語をしゃべる人は「何か賢い事を言う」との思い込みです。しかし、彼等はハリウッド映画のかっこ良い、賢いヒーローやヒロインではなく、ただの平凡な人々なのです。

もうひとつ新鮮な驚きだった事は、英語を話せば確実に意思が通じるという事。これも当然だと思われるでしょう。しかし、中学校などの英語の授業は、日本人同士が日本人の間だけで、英語を話していたのです。これは単なる記号に等しい。つまり、This is a pen. と言うと、「これはペンです。」と言う意味だと、決めているとも言えます。別にそれを「今日は良い天気ですね。」と言う意味だと決めてもかまわないわけです。日本人同士でそう決めれば、そう言う意味で通じあうということになります。しかし、英語学校では、英語はほんとうに別の言語なのだという事がちゃんと実感できます。何の取り決めもない、初めて会ったネーティブにThis is a pen. と言えば、ちゃんと意味が通じるということの不思議さ。海外の英語学校に行くといろいろな国の人に会えます。そんな時、彼等はお互い「これはなんて言うの」「これは何」とお互いの言語を確認し合って、きゃっきゃ、キャッキャと喜んでいます。そんな単純な発見の喜びです。





つづく・・・

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