2013年8月13日火曜日

最近のニュースから



ニュージーランド物語は、ちょっとスキップして、最近のニュースです。



今日、雅子さまがオランダの公務に行くとの決断のニュースがありました。その前に、いろいろ議論を呼ぶ意見が飛び交っておりました。



先ずは、宮内庁長官の言。

オランダの儀式に参加するかどうかの返事は、3月までにしなければいけなかった。しかし、皇太子殿下、雅子さまは、返事を保留していた(雅子さまのご病状のためと思われますが)。そこで、宮内庁長官は、異例の直言。

「早く返事をした方が良い。」



それから、



宗教学者、山折哲雄氏の提言。

清朝45の3月号とのこと。わたしは読んでいません。朝日新聞の記事から知りました。

それは、『皇太子殿下、ご退位なさいませ』

彼の主張:

皇室には「近代家族」と「象徴家族」の両側面がある。近代家族とは、個人的な性格を意味する。象徴家族とは、国民が求める「公的」な家族像である。今の天皇家はこの両者のバランスを保つことが求められている。

皇太子夫妻の場合は、近代的家族の側にシフトし始めている。適応障害の治療に悩む雅子さまと夫として妻を守るため、「近代家族」を維持しようとする皇太子殿下。

よって、皇太子さまと雅子さま、そして愛子さまと共に、第二の人生を選ばれても良いのではないか・・・、という主張。

それにより、国民の共感と雅子さまの病状回復が期待される。つまり、「弟君に、譲位宣言をする」ということ。



The issue evoked controversy among the media.



この問題の一つの論点は、提言の実現可能性。

作家、竹田恒泰氏の意見:

広域章順位の変更を皇室典範はがどう定めているか。

「精神もしくは身体の不治の重患があり、または重大な事故がある」ことが条件。

よって、皇太子さまの場合順位を変更する事はできない。



宮内庁関係者の言ということで、週刊現代が述べている事、

雅子さまの病気を「重大な事故」と認め、譲位する事はできるかもしれない。



また、経済学者、佐伯啓思氏の言;

皇室典範は通常の法律と同様に、国会においの議決において改正できる。皇室典範を改正すれば退位は可能。戦後の法体系において、天皇制をどう運用すべきかは、すべて国民次第。



次の論点は、「公」と「私」において、天皇や皇太子に「私」はあるのか。

竹田氏、

古来日本では「天皇に私はなし」



佐伯氏、

国民によって正当化されたものだからこそ皇室が「公的」なものになっている。もし、国民が皇室の事は皇室が決めればいいのでは、と言えば、皇室の「公的な性格」はなくなる。





ここでわたしが思うには、

天皇は、ヨーロッパ諸国や他の国の国王とは違う性格を持っている。つまり、天皇は神道の最高祭司なのである。あえて比べれば、法皇やダライ・ラマのようなもの。「公的存在」なのである。それを俗的な家族の区分で考えることはできない。もし、日本国民が神道を信じ、天皇をトップOF祭司と思うならば、その選出方法も家族の尋常な引き継ぎではなく、ちゃんと、ダライ・ラマの後継者探しのように、真剣に取り組むべきだ。あるいは、法皇のコンクラーベのように。



天皇制は、近代になって、初めから矛盾を抱え込んでいる。この矛盾点を天皇家にだけ押し付けてはいけない。ここが、日本の考えどころ。日本人として、ほんとに神道を信じるのか。そして、その正統な道筋を継承していくのか。如何。





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