『日本人の英語』・・・つづき
以前この「お題」で書きましたが、疲れたからつづきは後日と言う事で尻切れトンボになっておりました。と言って、たいした続きはないのですが・・・、やはり、書いておしまいにしとくべきかと。
実は、ピーターセンさんの書かれた事に関して二つ疑問点があります。ひとつは、論文を書く時に「日本人は受身を使い過ぎである」と指摘されている事です。
英語の感覚でいうと、受身は場合によっては著者が自分の書いたことに対しての責任を回避しようとしている印象を与えるケースがよくある。・・・・・日本人はとかく慎重な傾向も確かにあるような感じがする。少なくとも、一般的に「・・・と思われる」や「・・・と考えられる」などの控え目な表現に対する強い抵抗感はあるまい。
と述べられていて、彼の言いたいことは、日本人は自分の意見を断定的にせず、文章が弱腰になると言う事かと想像する。だから、It is thought that…….ではなく、I think that….と書く事を薦めている。しかし、わたしが受けた英文添削の通信教育では、論文では「絶対」にIとかweとか theyという主語を使ってはいけないと習った。わずか3カ月のコースであったが、何回なおされたかわからない。同じアメリカ人の先生なので、人種(文化)の違いではなさそう。英語能力の問題かしら・・・。
もうひとつは、forを接続詞として使うこと。Sinceやbecauseの代わりにforが使えると。ただし、これは文学的表現に多いと彼は書いている。
例えば、Eat, drink, and be merry, for tomorrow may not come.
わたしも小説を読んでいるとこのような表現はよく見かける。また通信教育であるが、いつもforは、接続詞としては使えないと言われる。しかし辞書をみるとたしかに接続詞としての使い方の例は記載されている。だから、いつも疑問に思っていました。
わたしはどうするべきでしょうネ。ピーターセンさんを信じて彼についていくべきでしょうか。
最後に、わたしの心に残ったピーターセンさんの「お言葉」を記しておきます。
国際化が英語で行われている限りは、競争が自由とは言えない。
日本語の環境の中で長く暮らしたために、その変な英文が出て来たのにはそれなりの理由があると考えられるようになった。それが外国語を学んで得られるもう一つの価値であり、それは言葉以上の何かであるように思う。
��変な英文とは日本人がよく間違えて書く英文のことです。・・・わたしの注です。)
こんなアメリカ人ならわたしもついて行こうかナ~~~。でも、わたしの根本的な疑問、「英語を学ぶ時、わたしはどこまで英国人にならなくてはいけないのか。日本語の考え方のまま、何故英語を話してはいけないのか。」には賛成しないだろうねェ。
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