2013年8月13日火曜日

資本主義について



資本主義が一番すぐれた形態ではないことは周知の事実でありますが、それ以上に良い形態を人類は示し得なかった訳であります。しかしながら、昨今の様子を見ているとなんだかヤバそうな気配だなと。それで今まで経済の本とかそれに類する本を読んだことはなかったのですが、なんにも知らずに批判だけすることはできまいと、一冊読んでみました。「一冊か!」と言わないで~~~。一冊でも、それは今まで読んだことのなかった分野なので新鮮で得るところも多かったです。





読んだ本は、雑誌なのかな~~~、新創刊とか書いてあるし~~~、「atプラス01」です。特集は「資本主義の限界と経済学の限界」。無知なこと書いていても笑って見逃してネ。





新鮮だったのは、「貨幣が人々を自由にした」という考えです。「社会の中における人間の自由とは、言語と法と貨幣の産物であると言ったほうが良い。」by岩井克人。



貨幣の発明により人は物々交換から逃れ、好きな時に好きなものを手に入れることができるようになったし、自分が持っているものが食べ物であれば「腐る」ところを「蓄積」ができるようになったと言う事。この貨幣によって富を蓄積できるようになったことが人類に自由を与え、そして両刃の剣として人類に不幸をもたらしたのです。アリストテレスは「限りある欲望、これは正しい欲望である。」と言いました。食に対する欲望、おいしいものを食べたいと思ってもそれには限りがある、所有欲にしてもそう。でも、貨幣だけは限りがない。とりわけ、貨幣が金からただの紙切れに変わってからは、そしてモノとしての貨幣すら必要ではなくなってからは、その欲望に限りナシ。究極、価値の無限の増殖、それ自体を自己目的化した資本主義の発展そして危機へ。



前述の岩井克人さんによると、資本主義の発展→その足枷となる国家機能の縮小→自由放任による資本主義の危機→国家の必要性の再認。彼は「修正資本主義」を押しています。





「成長による資本蓄積を至上命題とする近代資本主義の終わり」とは、水野和夫の言。



先進国は物を作りすぎた。もうモノを買うと言う点では限界に達した。しかし、モノを作り続け、売り続けなければ資本主義の発展はない。モノを買う人を見つけなければならない。彼は、「二割の先進国の人たちが八割の貧しい人たちからモノを安く買い高く売ってきた。貧しい八割の人がいてこその二割の人たちの資本主義だった。」と言っています。実際に、この地球上の人たちが全部、今の二割の人たちが受けている特権を享受するにはどれだけの資源が必要かということです。





故に、成長のオワリを認識しなければ、と思う今日この頃です。









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