2013年8月13日火曜日

今週の先生



しばらく新しいアメリカ人の先生に教えてもらうことにしました。と言うのは、この先生は最初のセッションの時にちゃんとプリントを用意してきたからです。今までの先生はたいてい手ぶらで来て「何しますか~~~」っていう調子です。それでわたしがこういう授業が良いとか言う訳ですが、彼らは「それはイイね。面白そうだね。」とか言いつつその次の回にはやはりてぶらで現れて、「ご機嫌いかが」とか言うだけです。そして単なるお話合いになっちゃう訳。



今回の先生は、一番初めに会った時にわたしが言った「単なるチャットではなくディスカッションを望みます」と言うことをちゃんと考えてくれて、自分でわたしに合いそうな話題を雑誌から選びそしてカラーコピーまでしてきたのです。ブラ―と現れてブラ―と去って行く授業料泥棒のような先生ではなく、少しはわたしのために彼の時間を使ったと思うと嬉しいです。



というように、わたしってホントにケチな性分なんです。払った分だけ何か見返りがなければ許せないんです。このことは勉強にも言えます。学んだものは何かの役に立てなくてはいられないんです。ケチ根性です。だから今まで一生懸命学習して覚えた英単語も全部役立ててしゃべりたいのです。単なる日常会話でなく「興味ある話題」でトークしたいひとつの理由です。母にも小さい時から「転んでもタダでは起きない子だよ」と言われていました。





さて、何のプリントだったかと言いますと、社会心理学です。科学雑誌からコピーしたもののよう。この中に書かれていた心理学の実験はたいへん有名なものなのでわたしも以前読んだことのあるものでした。例えば、被験者に他の被験者が答えを間違えたらこのボタンを押すようにと言います。そのボタンを押すと相手の被験者に電流が流れると言います。相手の被験者はサクラで本当の被験者ではありません。ボタンが押されると電流が流れたような演技をします。どこまでこの被験者はボタンを押すことができるかという実験です。段々ボルトを上げていってこれは相当危険だと言われても、実験者がボタンを押すように促すとたいていの被験者は相手の被験者に危険とわかっていてもボタンを押してしまいます。



で、このプリントの要点は何かと言いますと、最近の社会心理学者であるKruegerが過去のこのような実験に対し批判をするということです。彼によりますと、過去の心理学者は人間の欠点ばかり実験している。それでは片手おちである。良い面も実験してこそ人間の本質が全体的に明らかになるのだということ。何故彼らが人間の悪い面ばかり実験する傾向にあるのかと言うと、彼らは人間の本質を「理性」であると初めから仮定しているからだ・・・というのがKruegerの言い分。彼はZen Masterの言葉を引用して、今までの心理学の間違いを検証しています。



There is a Zen Master who said something like “Humans are perfect, but they could use a little improvement.”



Then、先生がわたしの意見はと問う訳です。



そもそも人間=理性的な生き物というのは西洋的な考えである。人間をこの世界のヒエラルキーのてっぺんに位置しているものと見做している。KruegerはAristotelian Mindと称しているが、わたしはキリスト教的であると思う。キリスト教は確実に人間と他の生物の間に一線を引いている。東洋では(あるいは西洋以外)人間を他の生き物と同等のものと考えている。そして、同等に理性的ではない。Kruegerが指摘するように西洋の学問は、心理学、哲学、科学その他何に拘わらず、この視点を基盤に発展してきた。そして今ようやくその間違いに気付きつつある。彼らがこの失敗に気付き新たな学問を創出するには、彼らが今まで築き上げてきたものを一度すべて壊さなければならない。そして、あらたな理論を構築する。同様に、我々も明治以来西洋の学問を受け入れて来た。しかし、われわれのロジックをすべて否定し捨てて来たわけではない。わたしたちはまだ奥底に我々の概念を残している。わたしたちには、間違いに気付いた時戻る場所があるのだ。だから、我々にはKrueger が言うことを素直に受け入れる素地がある。



と言いましたところ、先生は、そうそう心理学ばかりでなく他の学問分野でも学者たちは間違いに気付きつつある。だから、西洋の物の見方と、東洋の物の見方をミックスして新たな視点が築きあげられればいいね、と。ここでもうひとつ問題が・・・、我々は本当にお互いに理解し合い新しい考えを作り上げることができるのかということ。



ともあれ、ここでお開き。単なるチャットではなくお話合いができたことは嬉しいですが、全てを言いつくせないという新たなストレスが発生しそうな・・・感じ。予感。





では、また来週!!!



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