2013年8月13日火曜日

レタス









今回はレタスです。試しにレタスも水につけてみたら育ってきました。容れ物は100円ショップで買いました。100円ショップに行くといつもいらないものまで買ってしまうのですが、これもその例。やっと役に立ちました。隣の鳥は何かのおまけに付いていたもの。なんでも捨てられず取っておく性質です。これもようやく居場所が決まりました。







先生とのお話――臓器移植について――は今回も終了せず。レッスンの前半はわたしが住んでいた時の上海のお話で盛り上がり、後半(また15分くらい)でようやくその話題にたどり着いたわけです。また来週と言うことになりました。次回は「今日でこの話題は終了しましょう。」と言うつもりです。もう飽きた。



今回お話しできたのは、

今、改正案としてA・B・C案と3種類あるのですが、その中で「脳死」をどのように考えるかということ。日本では心情的に「脳死」を「死」と受け止められない。国民の全体のコンセンサスが得られにくいということをわたしが言いました。彼は「どういう考えで日本人は脳死を受け入れられないのか」と言います。



脳は死んでも心臓はまだ機能しているし、すべての活動が停止した時に「死」というものが受け入れられるんじゃないのでしょうか。実際、欧米でも大衆のコンセンサスが得られているのかどうかは疑わしいと思います。と言うのは、マルタに居た時クラスで「人はどれだけ脳について知っているか」ということについて話し合ったのですが、ヨーロッパの生徒たちは、口々に「脳死が宣告された後、生き返った人を知っている」と。わたしは、はじめ彼らが何を言っているのかわかりませんでした。だって、彼らは臓器ドナーの話題には、ドナーになるのは「良いこと」進んでドナーカードを取得すべきだと言うんですよ。脳が死んだ後も、人が生き返る可能性があると信じている彼らが何故ドナーになれるの。何故「脳死」を受け入れられるの。



こんな感じで先生に話したのですが、先生は僕も死を宣告された後生き返った人は知っている。でもそれとドナーを結びつけて考えたことはなかったな、って。





どうなんでしょうね。続きはまた来週。



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