2013年8月13日火曜日

映画「おくりびと」を見て



映画「おくりびと」は日本で数々の賞を総なめし、最終的に第81回アカデミー賞外国語映画賞も受賞した。「おくりびと」はひょんなことから納棺師になってしまった主人公が、真に「納棺師」という職業を理解し死に旅立つ人々を送り出すことの意味を見出していく話である。



この映画を見て感じたことは二点ある。ひとつは映画の内容に全然関係ないことではあるが、日本の女優のセリフの言い回しをアメリカ人はどう感じるのだろうかということ(アメリカのアカデミー賞を取ったので)。アメリカの映画と日本の映画とのセリフの言い方は全然違う。例えばアメリカの女性は一人ひとりが自分の意見を主張し見方に依れば「攻撃的」とでも言ったような感じであるが、日本の女性は自分の意見を言っている時でも一歩下がって物を言うような「どう思われますか」的雰囲気を漂わせている。アメリカと日本という比較だけでなくそれぞれの国がそれぞれの文化を背負って言葉を発しているので、同じことを話しても表現方法は違うとわたしは思う。日本でアメリカ映画の吹き替えのマネをして話すことがギャグとして成り立つように。



二つ目は「納棺師」という職業そのものについて。納棺師とは映画の中での説明によると、葬儀屋が来る前に亡くなった人を清めお棺に納める仕事である。以前は家族がその役目を果たしていたが、今はその職業が成り立っていると。たいていの場合どの国においても死にまつわる職業は忌み嫌われる。この主人公も例外でなく、妻には「もっとまともな職業に就くように」と言われ、汚らわしいから触るなと拒否される。彼の友達も何をやっているんだと口もきいてくれない。亡くなった人をお清めに行った先でも、「ちゃんと人生をまともに生きないと、あんなことしかできなくなるよ」と自分の方を指さされる。もちろんそういった人々は彼の「死者に対する思い・接し方」を目の当たりにすることによって最後には彼に感謝し、妻も彼の仕事の意味を理解するところとなるのではあるが。しかしこれは映画のハナシ。



人は皆死ななければならない。そして、最後の後始末をする人は必要。死に関することは忌み嫌われる。「死」ばかりでなく、人は自分のキタナイ部分を社会的弱者に押しつけて自分の手はきれいだと素知らぬ顔で人生を過ごしている。こうして差別の構造が生み出されていく。







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