2013年8月13日火曜日

日本人

日本人の特徴



「あるものを変化させることなく守り続けること」。日本は冷蔵庫と言われているらしい。和楽器は中国から伝えられた時のままの形態を保ちながら現代まで伝わってきている。その起源である中国ではとっくにすたれたと言うのに。つまり、伝統を守る人はその伝統を少しも変化させることなく次代に引き継がなければならない。強調しよう、一点の変化もなしに、だ。つまりその人のあるいは職人の個性やひらめき、独自性、その他どんな恣意も押さえつけられるのである。しかしながら、人はその中に喜びを見つけることができる。「なにも変えず、それをあるがまま次世代に引き継げた」という誇りが成り立つのだ。



日本人はあるルールについて疑問を唱えない傾向にあると言われるが、これも前述の性格にある意味関係があるのではないかと思う。「なぜか」「どうしてそうしなければならないのか」の疑問すら頭に浮かばないのだ。ある物をあるがまま受け入れると言う性質。



それでも我々の社会はそこそこうまく発展してきている。何も疑問を持たないのに何故独裁者も出ず、そこそこうまくいくのか。それは、我々には自己抑制、自己自制、自己統制、自己規制の性質があるからだと思う。我々はリーダーを選ぶ。リーダーはエラバレル。我々はリーダーに従う。疑問を差し挟まない。リーダーは選ばれたという自覚がある。そしてそこに自己規制が働く。もちろんわたしたちの社会にも格差はある。でもその格差がなぜとんでもなく広がらないのか。それは我々がいつもお互いの位置関係を無意識のうちに量っているからだ。リーダーもこのくらいのとこまでは大丈夫だろうという許される範囲内でその権力の行使を止めている。



日本では革命は起こらない。暴動は起こるがそれは階級闘争ではない。何故か。自然にうまい方向に針が振れるからだ。日本では組織だった不買運動は起こらない。誰も「これこれを買うのはやめましょう」と声高に叫ばなくとも自然に誰も問題のある商品を買わない。売る方も自然とその商品を売らない。結果その商品は市場から消える。そう、悪いものは自然に消える。無意識の排除。これは怖いよ。つまりあるサークル内で人々はお互いの距離を測り刺激し合わないで生きている。しかしその中で一歩行動を間違えると、無意識の力が働きそのサークルから排除される。いったん排除されればいかなる残酷な環境に置かれるかは想像にかたくない。もうその人はサークルの一員ではないので一顧だにされず、きめ細かく組織された相互扶助の枠から滑り落ちることになるのだ。であるから我々は常に他人の息吹を量っているのである。



以前上海で暮らしていた時、中国人の友達に言われたことがある。「嫌なことがあったら言葉で言ってネ。言わないと何もわからないネ。」と。そう、日本人は本心を言葉で表わさない。それはお互いに探り合うものなのだ。





日本人コワイね。何も言わずに人を切リ捨テルね。







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